「アルバイトは時間の無駄!」と、きっぱり言う人や「アルバイトをやるのは時間の無駄ではないか?」と、物議を醸す人達がしばしば散見されます。
実際にアルバイトは本当に時間の無駄なのでしょうか?
実のところ本当にそうなのか内心では釈然としない人が多いと思われます。
当記事ではそんなアルバイトや時間、その意味について解説していきたいと思います。
アルバイトと時間について考える
アルバイトとは、労働者を雇う側の雇用主と契約を交わし、指定された時間内に働き、時間または日付単位でお金を稼ぐ働き方です。
一時間や分単位で給料が得られる時給と、一日単位で給料になる日給などの形式があります。
仕事内容や就労時間、待遇などの環境は地域や職種によって様々なので、自分のいる環境や相性次第で一概に「これは」「ここは」おすすめ!と言い切れる具体的なものは正直なところありません。
アルバイトを時間の無駄とする人たちの主張内容は以下の通りでおおよそ共通しています。
- 勉強する時間にした方が良い
- 旅行などの娯楽や恋愛をした方が良い
- 時間とお金が割に合わない
主に学生に向けている意図のものが多いです。
この内容を踏まえると一種の合理性や効率性を考えての主張なのでしょう。
しかしこの主張には一つの大きな前提条件が欠けています。
アルバイトを検討する人は、別に時間を持て余している訳ではないということです。
何の理由や目的もなくアルバイトをやる人はまずいません。
自分に合いそうなアルバイト求人を探して応募し、履歴書を作り、身だしなみを整えて面接に赴き、採用されれば多くの仕事内容を覚え、自分のスケジュールも管理する。
暇つぶしのためと言って伊達や酔狂でやるようなことではありません。
合理性や効率性の側面から見れば確かにその内容は理想的ですが、結局のところ理想です。
旅行へ遊びに行ったり、恋愛をするのにもお金は掛かります。
勉強をするために学校へ行ったり独学でやるにしてもタダではできません。
旅行へ行く交通費、恋愛をする交際費、学校へ通う学費に独学でも必要な教材費。
自由な時間ですら金銭的余裕がなければ十分に作ることができません。
お金と時間に余裕があればわざわざアルバイトなんてやりません。
つまり、それらの理想を実現するためにアルバイトでお金を稼ぐのです。
アルバイトを時間の無駄と言う前に、何のためにアルバイトをするのか?ということを考える必要があります。
意味のあるアルバイトについて考える
勉強する時間も、旅行や恋愛をする時間も、自由な時間も手にしたいと誰もが思います。
要するにそれらは叶えたい「目的」と定義されます。
目的を実現するには実現させるための「手段」というプロセスが必要不可欠です。
アルバイトを時間の無駄とする言い分には理由という形で「目的」は並べられているのですが、それを叶えるための具体的な「手段」が不在状態です。
一般的にアルバイトをする人は、そういった何らかの目的を叶えるために働いています。
前述しましたように、何の目的や理由もなくただアルバイトをやる人というのはまずいません。
そのため、意味があるかどうかの是非を問うこと自体が言ってしまえば無意味と言えてしまいす。
アルバイトをやるのはそれぞれに目的や理由があり、他人がそれに対して口を出してもどうしようもないからです。
中には正社員になることもできるけど、あえてアルバイト待遇であることを望む人もいます。
「アルバイトのままの方が時間に都合を付けやすい」「他の何かをやるために正社員になることを望まない」「一時的な急場を凌ぎたいから」といった感じに、それぞれ独自の理由や目的を持っています。
それは立場や価値観が異なる他人がその意味の有無や価値の良し悪しを推し量れるものではありません。
どんな理由であれ「行動に移す」という行為はそれほど簡単なことではありません。
行動には何かしらの意味や目的が含まれています。
「出世を望んでいるし、出世できる条件が既に揃っているのに今までそれに気付かなかった」みたいな抜け落ちていたミスでもない限り、無意味や無駄と評せるようなことはまずそんなにないと考えます。
自分に本当に必要なものを見据える
学校でも社会でも本当に必要なものというのは、存外に誰も教えてくれません。
それを実際に学ぶ場面とは、大体の場合が「それ」の不足による失敗を痛感した時です。
特に社会常識やマナーはまだ社会人未経験の新卒相手にも容赦がありません。
筆者自身も社会人にデビューした際には学生時代のアルバイト経験に救われた場面が何度かありました。
アルバイトに対して意味があると答えるとしたら、そうした社会経験の予習ができることです。
社会常識やビジネスマナーなどの経験も知識も足りなかったためにせっかくの機会を棒に振ってしまったといった失態やネット上での炎上騒動などをよく見かけませんか?
複雑な物事というのは常識として覚えるのに時間が掛かります。
これは筆者の持論ですが、「学生時代に勉強や青春で時間を無駄なく費やしたとしても、社会常識を身に付けるのに後々時間を浪費することになる」です。
時間は確かに貴重ですが、限りある人生の時間だろうと一切無駄なく使いこなせる人間なんてまずいません。
仮にアルバイトをやらなかったとしても、その後の時間をちゃんと使いこなせなければそれも無駄ということです。
規則正しい生活が世間的に評価されるように、実際に規則正しく生活を送るのは思いの外難しいです。
理想的な形を理屈ではわかっていても、何らかの事情で予定が狂ってしまったり、やる気が起きなくて結局実行に移せなかったといった結果になることはよくあります。
つまり、理想だけを並べても必ず良い結果になるとは限らないということです。
唯一無二の最善の答えはありません。
最終的にそれが割に合うかどうかを決めるのは、他人ではなく自分です。
結論
アルバイトを時間の無駄にするかは自分次第です。
社会の中で生きる上で、あらゆる物事は成功も失敗も問わず全て「知識」や「経験」として自分に蓄積されます。
積み重なった知識と経験に基づいた思考で知恵をふり絞って判断をするのです。
自分が必要(欲しい)と思ったものだけが本当に必要なものであるとは限りません。
自分が特に関心もなかった知識や経験が思わぬ形で活かされる結果に繋がることはしばしばあります。
アルバイトの経験は社会の中で活かせる場面は数多いです。
接客経験が初対面の人と接する場面で活かされたり、専門的な知識や技術、実務経験が就職に繋がる材料にもなります。
勉学や青春に時間を無駄なく使っても、社会の中で生きる以上、遅かれ早かれ社会常識を学んでいくことになります。
ちゃんと学校に通っているから予習をするのは時間の無駄という理屈にならないのと同じことです。
自分の目指す目的のためにアルバイトという手段を用いるのが最善策なのであれば、他人が無駄と言っても気にする必要はありません。
意味のある・ないも時間の価値も決めるのは自分自身です。